秋名アラセツ行事
広く落ち着いた庭で子猫が三匹遊ぶ昔ながらの民家で、梁や柱が黒光りして立派!
「熱い味噌汁を一杯飲んでいかないか?」
というお誘いに、3時間寝たか寝ないかの何でもありは飛びつきました。
おいしかったです。ありがとうございました!
名瀬市内のコンビニで同居人にお握りを買ってあげて、一路古仁屋へ。Aコープでお米を買って、10時15分古仁屋発の「エリザベス号」で生間へ。
家に帰り着いて、ちょっと寝るつもりが、二人がぱっちり目を覚ますと午後4時。おははははー♪
軽く夕食を食べて、写真の整理をして、シャワーを浴びると、エイショウおじのお宅の「家(や)祝い」に行く時間になっちゃいました。
ま、こんなものでしょう。来年は「平瀬マンカイ」へ行くぞ~!
ということで、「ショチョガマ」見学は終ったのですが、そもそも「ショチョガマ」とは何か! 龍郷町のHPに「ショチョガマ」が国指定を受けたときの記念誌がpdfファイルでアップされていましたが、やっぱりデータの方がいいでしょう。「ショチョガマ」の部分だけデータにしましたので、興味のある方はお読み下さい。
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(2)秋名アラセツ行事
① 秋名のアラセツ行事は、ショチョガマ祭と平瀬マンカイ祭りから成りたっている。
旧八月の初丙(ひのえ)の日は、アラセツと呼んで豊かな実りをもたらした、神々への祭り日である。
早朝の潮が満ち始める頃、ショチョガマ祭りを行い、夕方の潮が満ち始める頃に平瀬マンカイ祭りが行われる。
平瀬マンカイ祭りの祭場は、海岸のいわゆる平瀬で行われ、ショチョガマ祭の祭場は、秋名田袋が見下せる、通称、ナザトの山の中腹に設けられる。
平瀬での祭りは、神はネリヤ、海の彼方から招かれると考え、ショチョガマの祭りは、神は天からお嶽(たけ:テー)山に招かれると考えたのではなかろうか。それで海と山の両方から神を招き寄せて五穀豊穣を祈願したものと考えられる。
*秋名のアラセツ行事のショチョガマ、平瀬マンカイの祭儀はいつの頃から行われたかは定かではないが、約400年前から伝わる行事といわれている。
現在は保存会を中心に地区住民一体となって伝承している。
【前夜祭】
② 旧八月の最初にくる丙(ひのえ)の日は、アラセツ行事の日です。アラセツ行事が始まる前日はショチョガマ、平瀬マンカイ祭を予祝する乙(きのと)の日で親節のつかりの日です。表座敷にゴザを敷いて供え物を供えて高祖がなしを迎え屋敷うちの高祖がなしに祭りごとを唱え祈りをします。
古老の話によればアラセツの家廻(やまわり)は、ショチョガマが完成し完成祝いで祭気分も充分。各家では高祖がなしを迎え、夕方近くなると村じゅう老若男女が祭り気分で賑わいが高まってきます。
ネセメラベ等はそれぞれ仮装や花衣装にアンガメ姿などして村の1番戸から2番戸へと松明(たいまつ)を先頭にツヅミ太鼓をうち鳴らし蛇味線(さんしん)をひいて家廻り歌を歌い、次の家に行く途中は肩をくむなどしてそぞろ歩き、踊りながら次の家へと廻るのです。迎える家では祈祷払(きとうはらい)という趣意もあって、酒・肴・盛皿をつくり待ちうけ酒を酌み交し無事息災を祝い庭ではヤワシ踊りなどをして祝い、現在の種下し行事よりもっと盛んなものでした。
夜通し踊りあかし東の空が白みかかると、ふらつく足を踏みしめて鉢巻をしめ直し、ショチョガマへと急ぎました。時には飲み過ぎてかショチョガマより落ちる光景もみられたものです。
【ショチョガマ作成】
③ 古老の話によると昔は資材の準備や完成までは、一週間は十分かかったという。作成は祭りの前日アラセツのツカリ日乙(きのと)につくる。それで作る日から一週間前に15歳に達した少年のうち、くじに当った者達が山から柱2本、桁1本切り出した。力の弱い少年達は親兄弟が代って切り出した。時には泣く子もいたという。その他の者はすべての材料を集め村中の者が作成した。
現在は秋名・幾里の青壮年団員を中心に資材を収集、祭り日の前の日曜の日に作成するようになった。
(3)ショチョガマ祭
① アラセツ祭の丙(ひのえ)の日早朝、即ち潮の満ちはじめる頃に始められる。グジが合掌してから供物(そなえもの)をあげ祭詞を唱える。
② 祭詞
ハァ トウトガナシ、八月ぬ新節(あらせつ)ぬきようて ショチョガマ祭り、祭ておせりよう西東(にしひぎゃ)ぬ稲霊(ゆいだま)がなしゃ 伊津部田袋(いつぶたぶくろ)ち寄りみしんしょし 伊津部田袋の稲霊がなしゃ秋名田袋ちゅりみしんしょれ 屋仁(やん)佐仁(さん)田袋ぬ稲袋がなし秋名田袋ち寄りみしんしょし 北風(にしかぜ)ぬ吹くが上あぶ(うあせ)し枕 南風(ふえんかぜ)ぬ吹くば下あぶ(しゃあぜ)し枕 生(あ)れはちぎらし 名あがりんしょうれ ハァ トウトガナシ
*唱えながらミキとお神酒を稲ワラの祭壇にこぼし、カシキを箸ではさみ取って祭壇にのせ、ハァ トウトガナシと唱えて祭詞は終る。
*次に1年以内に生まれたこどもは、晴着をつけ親にだかれ、ショチョガマにのって足を踏ませ健康を祈る。それがすむと40人~50人ぐらいの若者たちがふり落とされないように屋根上に出した縄をつかみ、ショチョガマの上に青壮年たちが立ち、打ち鳴らす鼓の音にあわせて歌をうたい、ヨラ・メラーと左右にゆさぶる。本柱が次第に傾いてくると更に力を入れ声を張り上げて歌い、歌が終るのを待って一斉にヨラ・メラーを続けゆり倒す。
1時間半くらいで全倒するが、その頃は太陽が東の山に昇る頃ともなる。若者たちは折り重なって倒れるも、やおら立ちあがりその上で八月踊りをすませ供物やお神酒をいただいて終る。
*ショチョガマが倒れる様は、実りの重たさにたえられず稲穂が畦(あぜ)を枕にした事を表現したものといわれている。
③ショチョガマ祭りの歌
1 朝(あさ)潮(しゅ)満ちあがりや ショチョガマのお祝(よ)べ
夕(よね)潮(しゅ)満ちあがりや 平瀬お祝(よ)べ
2 西からど寄(ゆ)りゆる 東(ひぎゃ)からど寄(ゆ)りゆる
西東(にしひぎゃ)ぬ稲霊(にぃやだま) 招き寄(ゆ)せろ
3 今年ある年や 豊年年(かふどし)どありよる
来年(やね)ぬ稲(にぃ)がなし 畦(あぶし)枕
4 汝(な)きゃや始めぬあらぬ 吾(わ)きゃや始めぬあらぬ
昔(けさ)ぬ親先祖(うやふじ)ぬ しつけはじめ
5 八月ぬ節や ゆりむどりむどり
吾(わ)きゃが二十歳頃や いつむどりゆり
「国の重要無形民族文化財指定 秋名アラセツ行事 ヒラセマンカイ祭 記念誌」
昭和60年6月29日 秋名重要無形民俗文化財保存会 より抜粋
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最後の「ショチョガマ祭りの歌」は、ところどころ判る歌詞はあるのですが、どんなかな~? と思って聴いていました。