今日はガイド講習で、笠利・龍郷方面に遠征してきました! こちらは、道路をめぐらす際に遺跡が見つかり調査される機会が多かったことや、30年にわたり遺跡の調査を続けている専門家の方がいらっしゃることなどで、数多くの遺跡調査がされています。
講師はバイトでお世話になっている図書館・郷土館の鼎丈太郎先生。インディージョーンズのようなハットが決まってます♪ ということで、今回は考古学中心です。
「あやまる第二貝塚」は、みなさんご存知の「あやまる岬」のソテツの群落のところ。海からの風で砂丘が崩れているところから土器が見えていたりするそうですが、今日は見えず。
ヒメキランソウです。
リュウキュウヨモギです。浜に降りて砂に手のひらを当てると、きれいな星砂と太陽の砂がいっぱいくっついてきました。皆さんもやってみてね。
「マツノト遺跡」は、ヤコウガイや土器がチラチラと砂の間から顔を出していました。
龍郷町の「半川遺跡」「ウフタ遺跡」を見たあと、赤尾木電波塔へ。
ここは、無線電話施設だったんですね。資料によると、
施設の概要
敷地面積 15000坪
局舎 送信所 鉄筋コンクリート建 151坪
受信所 〃 75坪
機械設備 送信機 TV503号A型
受信機 RS2201号
他に、短波用端局装置有線・無線2号各1号を送信所・受信所・名瀬郵便局に設置
次に送受信所が所属した名瀬統制無線中継所の沿革を掲げる。
沿 革
大正11. 古仁屋-鎮西-知名-与論間火花式無線通信開始(昭和9年6月廃止)
昭和3・5 鹿児島-久慈間無線電信開通
13・9 久慈より赤尾木送信所へ移転
14・2 鹿児島-名瀬間短波無線電信・電話開始
18・3 名瀬-亀津間短波無線電信・電話開始
20・4 空襲により通信施設破壊
21・6 福岡-名瀬間短波無線電信開始
28・9 鹿児島-名瀬間国際無線電話業務開始
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37・8 赤尾木分室廃止
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無線塔には、機銃掃射の跡がしっかりと残っていました。
この後、龍郷町公民館資料室へ。