戦争の記憶

9時に渡連の来々夏ハウスさんにお迎えにあがり、瀬相の海軍司令部跡に着いたのは11時半過ぎ。
戦争が終わってから瀬相に配属になり、正門を出て山の上の高射砲の弾薬庫へ歩いて登り、弾薬を肩に担いで降りる毎日で、最後は肩から血が滲んだそうです。思い出しただけでも肩が痛むとか。
終戦時、瀬相にいた戦争捕虜が虐待されている姿もご覧になっています。きちんと立てるか立てないか位の檻に入れられ、水も缶詰の空き缶から水をはじくように与えられていて、通りかかった兵隊が声をかけようものなら、その兵隊がビンタをくらったそうです。
もう一度瀬相に来てみようと思いながら、お忙しい毎日を過ごされていて、今日、ようやく願いがかなったそうです。
ご主人は少し足が疲れやすくなったそうで、奥様が手をつないで支えながら歩いていらっしゃいます。「とても羨ましいお姿です。」と申し上げると、「歳をとってからこうやって支えあいながら生きるのっていいですよ。」と奥様。もっと羨ましくなっちゃいました。
12時半を過ぎましたので、伊子茂の「5マイル」さんで昼食にしましょう。
お二人は四十数年間、一緒に名瀬で「だるま食堂」という店をなさっていて、5年ほど前に引退。時を前後して息子さんがイタリア料理店を開店なさったそうです。
え? あの「イゾラベッラ」さん? 素敵なおいしいお店ですよね♪
奥様は今でもお店や子守のお手伝いに活躍なさっているそうです。分かります、バリバリお元気ですもの。
瀬相港に向ってもちょうどいい時間のフェリーや海上タクシーの定期便がありません。押角から古仁屋へ海上タクシー「とびうお1号」さんで渡っていただくことにしました。

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お見送りして生間方向に走っていると、「とびうお1号」さんから携帯が入りました。
「お客さんが、須手の飛行場跡に行きたいと言ってるんだけど、どこか分かる?」
「分かるよー。きっと、○○がある辺りと、そこから山手にあがったところだと思うよ。」
「行ってみようね。」
お元気なお二人は、須手の飛行場跡にも回られたようです。お疲れ様です。今晩は、ゆっくりお休み下さい。