今朝、生間港にお迎えしたのは、第44震洋隊隊長でいらした故渡邊誠さんの奥様とお嬢さんです。お嬢さんはドイツから里帰りし、数日前に三回忌の法事を済ませてお母様とお父さま縁の地を訪ねていらっしゃいました。
事前にメールでやりとりした中で、「資料によると、加計呂麻島には第18震洋隊の第一艇隊長としていらして、第44震洋隊の三木隊長が事故死なさった後に隊長となった。」とご案内し、今回は第18震洋隊基地跡の呑之浦をご案内する予定でいましたが、ご実家で島尾敏雄さんが書かれた思い出の中に、渡邊さんは林隊長とともに第17震洋隊に配属され、その後第44震洋隊の隊長になったことが記されていたことが分かり、急遽、三浦にある仲田浦に向うことにしました。
第17震洋隊の資料を持参していなかったので、家に戻るついでに諸鈍のデイゴ並木を見学。「男はつらいよ 寅次郎 紅の花」のビデオをご覧になっていらしたというので、ちょうど良かったです。
仲田浦です。満潮に近く、また足場も悪いので、格納壕がある対岸までは渡らずに、以前見た格納壕の様子をお話しました。
静かです。
三浦の集落側から見えるところにもいくつかの壕があると思われますが、こちらはまだ行ったことがありません。
呑之浦へ向う途中、きれいな浜とガジュマルの大木のある於斉に立ち寄りました。
奥様はご主人と沖縄に旅行した際に奄美大島に立ち寄り、島尾敏雄さんにお会いになったことがあるそうです。ご主人は島尾敏雄さんと同期だそうです。ほとんど戦時中のことはお話にならなかったそうですが、ボートで移動中に米軍機の空襲にあい、弾がジャンバーの背中部分を貫通したことがあったと話してくれたことがあったそうです。
5マイルさんで遅い昼食をとり、今夜のお宿「マリンステイション奄美」さんへ向うために押角港から海上タクシー「とびうお1号」さんに乗船です。
思えば、第44震洋隊基地跡にご案内できるか久慈に行ったときもこのような雨でした。そして今日も。鎮魂の雨でしょうか。
雨の1日でしたが、きれいな海は感じ取っていただけたようで、お嬢さんはご主人と一緒に「また来るわ。」とおっしゃって下さいました。ご縁のできた島です、またのお越しをお待ちしております。