徳元佐和分33回忌
(あ、念のために書いておきますが、両親は健在、父が転勤族で実家から遠いところに住んでいたので、祖父母のお葬式には両親だけが出席したりしたので、私はお葬式に縁なくこの年まで来てしまったのです。)
聞くと、昭和48年8月7日に亡くなったので、8月7日までの、できれば大安の日にやるものだという。秋にやろうと言っていたのが早まったので、大安の日はこちらが都合がつかず、今日やることになった。
91歳で亡くなった佐和分じいちゃんは、70歳ぐらいの人に聞くと「ああ、あの佐和分な。」とみんな知っているような、なかなかの有名人だったようだ。
今日は、じいちゃんの人柄ではなく、メモ代わりの33回忌の進行について。
まず、朝6時ぐらいから良子お母さんとオバサンで赤飯を炊いて折り詰め。
8時40分のフェリーで明さんと良子お母さんと古仁屋へ。
お母さんを古仁屋の親戚のお宅に下ろして、明さんと伊須のお墓へおむかえに。
伊須のオバサンを乗っけて、親戚の家経由、本願寺(報恩時)さんへ。

10時30分から読経。20分と聞いていたが、本当に20分だった。お位牌をいただき、会食をする「海峡」へ移動。11時30分と頼んでおいたけど、11時には着いてしまった。



伊須の親戚と分かれて古仁屋へ戻り、海上タクシーで加計呂麻島へ渡る。ホッ。
家に帰ると電話が鳴っている。受話器を取ると海峡さんから。「あの、写真をお忘れですけど……。」
あら、おじいちゃん、ごめんなさーい。