「私の昭和18年」 7.兵隊さん
「私の昭和18年」 7.兵隊さん
学校へ行けなくなると、人里はなれた農村の一角は台湾人ばかりで、お隣の田尻さん(当時25、6歳の会社の主任さん)と2軒だけが日本人だった。
○○部隊500名くらいの戦争を放棄したと子供心にも思われる群れとおつきあいだ。○○部隊の任務とかは○○で私達には全く知る由もなかった。ただ、北海道出身の連隊、南洋に行く途中で船がないので当地に足止めになっている、そのような話だった。
一週間に一度朝礼があった。全員が整列して、部隊長さんが右から左に敬礼して歩く。腰に立派な軍刀を下げていた。私も3mくらい後ろから、1mの棒切れを腰に差してついていく。だれも注意しなかった。
500人の兵隊さんは器用だ。一週間くらいで兵舎を建てる。お風呂を作る。左官屋さんも大工さんも中にはいるのだろう。大きな500人分の食事をする炊事場もすぐできた。
私も「豊島良夫、視察に来ました。」と教えられた。言葉でいうと、皆さんニコニコしてどこでも見せてくれた。
お近づきにと、部隊長さんからお酒が2本届いた。父は神棚に乗せて、うやうやしく毎日、朝昼晩、手を合わせて拝んだ。続いて私も拝んだ。
ある日、海軍の若い士官さんが10名ぐらい遊びに来た。神棚のお酒をを見つけて祝杯をしようと酒瓶をおろした時、みるみる顔色が変わった。「豊島さん、申し訳ありません。」部隊長の給食係りが間違ってうがい薬を持ってきたのだ。早速、本当のお酒が届けられた。肉も届けられた。人数も15名ぐらいに増えた。肉料理も兵隊さんがした。家で賑やかに士官さんたちが酒を飲んだ。
1ヶ月に1度外出日があった。私はあのグループ、このグループと誘われて新港の町に連れて行ってもらった。映画を見たり、お菓子屋さんで大きな大砲巻きを買ってもらった。
兵隊さんの休憩を見計らって国語の本や算数の本を持っていき、勉強を教えてもらった。読書の兵隊さん、算数の兵隊さん、2×2=4の兵隊さん、私は名前は分からないが、最初に教えてくれた兵隊さんをそのように呼んで遊びに行った。
柔道も相撲もレスリングも兵隊さんの中にはいた。腕を引っぱられて脱臼したら、腕を引っぱってすぐ入れてくれた。兵隊さんの中には何人もお医者さんもいたようだ。
6歳下私の妹も、昭和20年当時5歳だった。笠井さんという士官さんによく遊んでいただき、顔を洗ってもらったり、なついていたようだ。

