「私の昭和18年」 6.国民学校(2)
「私の昭和18年」 6.国民学校(2)
上級生、6年生の教室の廊下を通っていたら、いきなり中から怒鳴り声がした。先生が学童を殴りつけた。級長さんがやられていた。ぶっ倒されて、まだ足蹴にされていた。「スパルタ教育」だ。
昔、地中海にスパルタという国があった。人口の少ない国だったが、若者を鍛えて、一人の国民が20人の奴隷を従えさせた。
日本の教育もまさにスパルタ教育を取り入れていた。国民学校に入学すると、ほとんどの先生が鞭を持っていた。教室の先生の必携用具だ。黒板の文字を指したり、児童を指したり、それが時には児童を叩く凶器になる。
明治から昭和20年までの教育は富国強兵、その指針としてスパルタ教育が取り入れられていると思う。日本も中国、朝鮮、南洋と次々占領して領土が広がると、その領土の住民の指導者になるためには、スパルタ教育で鍛えぬかなければならない。1億の民が20億の民を導くには、児童生徒もそれだけの教育が必要だ。いつのまにかスパルタも覚えていた。先生のお話だった。
国民学校、小学校の上には、高等科、中学校、農林学校、師範学校とあったが、男子は先生が、「特攻隊に行け!」と言われたら、サッと手を挙げる。若人にできる教育だった。男子は軍人、女子は看護婦・お嫁さん志望だったと思う。
米国人は目が青くて色盲が多く、落下傘で降りてきてもピストルで日本人を狙い打っても当たりっこない。色が白くて大根のように大きく、竹槍で少し傷つけると黴菌に弱く、バタバタ死んでいく、という先生のお話に、私もそのようなものと思った。
「鬼畜米兵」そのような米英が、どうして「神の国」日本と戦うのだろうと頭の中で考えるのだが、そのような考えは親子でも話せなかった。僕みたいに体が小さくひ弱な人間は、戦争がひどくなったら深い山に逃げ込みたい。でも、憲兵隊に捕まったら銃殺だ。やっぱり体を鍛えて軍人になるしかない。
子供達の遊びも、兵隊ごっこ、山に逃げ込んだ脱走兵、北海道からロシアに逃げた俳優の話、大陸のスパイ、児玉誉士夫、児玉機関等、大人の話はそのまま子供達に伝わった。一夜妻とか、夜這いとか、子供の社会も全くその時々の世間を伝えていた。
昭和19年から戦争が激しくなり、空襲がひっきりなしに増えてくる。校庭に爆弾が落とされたり、砂糖会社の工場がやられたりしだした。
ある日、先生が、
「豊島さん、あなたはもう学校に来なくていいですよ。」
と言われた。新しい教科書をもらい、全く学校に行かなくなったのは、昭和20年の3月だった。
ちょうど台湾では大根の収穫期で郷先生の家に誘われた。庭の大根を2、3名で抜いてお手伝いした。先生は独身だったが、庭で野菜や花を自給されていられたと思う。お茶をいただいて、帰りにカバンにいっぱいお菓子をいただいた。軍国少年の教育もこれでおしまいになってしまった。
級長さんと会った。絶世の美人、女優さんが大陸でスパイとして活躍している。日本語と中国語に優れ、中国の戦況はこの人の力で日本がほとんど勝利を納めている。私には、絶世の美人という意味が分からなかった。たまに会う同級生から子供同士の話や大人の話がわずかに入ってくる何ヶ月かだった。