オフ。
午後に図書館から借りてきた「海南小記」をパラパラ。ふむふむ、柳田國男は、名瀬→朝戸→和瀬→東仲間→西仲間→阿木名→古仁屋→押角→瀬相→俵→三浦→武名→古仁屋→西古見→屋鈍→阿室→名瀬のコースを辿ったのか。
げげっ! 昭和10年の2月っていうと戦争の足音が聞こえてきているわ。
当時、古仁屋は東方村の役場所在地で、翌年11年には町制施行で古仁屋町に。鎮西村は、大正5年に実久村と分村、役場が於斉から押角に移ってだいぶたっている。
戦争関係でみると、
明治37年 日露戦争勃発
明治38年 日本海大海戦大勝
明治41年 10月 大島海峡で日本海軍大演習
明治44年 9月 日米の軍艦、名瀬・久慈に数日碇泊
大正6年 古仁屋港に日本軍艦11隻来航
大正8年 古仁屋、名瀬間県道完成
大正9年 古仁屋に築城本部を置き、西古見・実久を砲台設置要塞地帯と定め、薩川港を軍港とする
大正10年 4月 軍艦等30余隻台湾、沖縄から古仁屋、薩川に寄港
12月 阿木名水力発電所送電、阿木名、古仁屋に電灯つく
大正11年 古仁屋に要塞司令部設置
昭和2年 8月7~8日 昭和天皇古仁屋に行幸
昭和5年 1月 第六師団長荒木貞夫来町
昭和6年 9月 満州事変起こる
昭和7年 1月 上海事変起こる
昭和8年 2月 日本国際連盟を脱退
昭和9年 全郡でカトリック排撃運動起こる
昭和10年 全国に青年学校設立
昭和11年 2.26事件