「ほっ」と。キャンペーン

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カケロマドットコムは、本日より1月3日まで年末年始休暇に入ります。

うちの両親が年なので、ちょっくら顔を見に熊本に行ってきます。

加計呂麻と比べると寒いだろうなあ。
朝方、氷点下になるのかなあ。

すでにビビッておりますが、気持ちを強くもって出発です。

皆様、1年お世話になりました。
来年も良い年になりますように!!
現在、芝集落の区長さんをなさっている豊島良夫さんの覚書を連載します。記憶をたどって書くので、用語など現在では不適切なものもあるかもしれませんがご容赦くださいとのことです。著作権は豊島良夫さんにあります。

「私の昭和18年」 6.国民学校(2)

 上級生、6年生の教室の廊下を通っていたら、いきなり中から怒鳴り声がした。先生が学童を殴りつけた。級長さんがやられていた。ぶっ倒されて、まだ足蹴にされていた。「スパルタ教育」だ。

 昔、地中海にスパルタという国があった。人口の少ない国だったが、若者を鍛えて、一人の国民が20人の奴隷を従えさせた。

 日本の教育もまさにスパルタ教育を取り入れていた。国民学校に入学すると、ほとんどの先生が鞭を持っていた。教室の先生の必携用具だ。黒板の文字を指したり、児童を指したり、それが時には児童を叩く凶器になる。

 明治から昭和20年までの教育は富国強兵、その指針としてスパルタ教育が取り入れられていると思う。日本も中国、朝鮮、南洋と次々占領して領土が広がると、その領土の住民の指導者になるためには、スパルタ教育で鍛えぬかなければならない。1億の民が20億の民を導くには、児童生徒もそれだけの教育が必要だ。いつのまにかスパルタも覚えていた。先生のお話だった。

 国民学校、小学校の上には、高等科、中学校、農林学校、師範学校とあったが、男子は先生が、「特攻隊に行け!」と言われたら、サッと手を挙げる。若人にできる教育だった。男子は軍人、女子は看護婦・お嫁さん志望だったと思う。

 米国人は目が青くて色盲が多く、落下傘で降りてきてもピストルで日本人を狙い打っても当たりっこない。色が白くて大根のように大きく、竹槍で少し傷つけると黴菌に弱く、バタバタ死んでいく、という先生のお話に、私もそのようなものと思った。

 「鬼畜米兵」そのような米英が、どうして「神の国」日本と戦うのだろうと頭の中で考えるのだが、そのような考えは親子でも話せなかった。僕みたいに体が小さくひ弱な人間は、戦争がひどくなったら深い山に逃げ込みたい。でも、憲兵隊に捕まったら銃殺だ。やっぱり体を鍛えて軍人になるしかない。

 子供達の遊びも、兵隊ごっこ、山に逃げ込んだ脱走兵、北海道からロシアに逃げた俳優の話、大陸のスパイ、児玉誉士夫、児玉機関等、大人の話はそのまま子供達に伝わった。一夜妻とか、夜這いとか、子供の社会も全くその時々の世間を伝えていた。

 昭和19年から戦争が激しくなり、空襲がひっきりなしに増えてくる。校庭に爆弾が落とされたり、砂糖会社の工場がやられたりしだした。

 ある日、先生が、
「豊島さん、あなたはもう学校に来なくていいですよ。」
と言われた。新しい教科書をもらい、全く学校に行かなくなったのは、昭和20年の3月だった。

 ちょうど台湾では大根の収穫期で郷先生の家に誘われた。庭の大根を2、3名で抜いてお手伝いした。先生は独身だったが、庭で野菜や花を自給されていられたと思う。お茶をいただいて、帰りにカバンにいっぱいお菓子をいただいた。軍国少年の教育もこれでおしまいになってしまった。

 級長さんと会った。絶世の美人、女優さんが大陸でスパイとして活躍している。日本語と中国語に優れ、中国の戦況はこの人の力で日本がほとんど勝利を納めている。私には、絶世の美人という意味が分からなかった。たまに会う同級生から子供同士の話や大人の話がわずかに入ってくる何ヶ月かだった。
1時間半の行程でした。マークが気になって持ち帰った割れた食器です。

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やっぱり陸軍のマークでした。

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名古屋の陶器の会社が作ったのでしょうか。

ネットで調べてみました。「時のかけら~統制陶器~」という素晴らしいブログに記述がありました。

『名古屋製陶は名古屋市に存在していた会社で戦後、鳴海製陶株式会社として今も生産を続けている。名古屋製陶は昭和3年に設立していて戦時中は『技術保存資格者』として統制を受けない会社であった。それでも社員・会社を維持するため軍隊向けの磁器製の食器をたくさん生産していた。今でも骨董市などで高台内に『名陶』とある★マークの付いた碗などを見かける。』
by amami-kakeroma | 2005-12-27 22:22 | 戦争 | Comments(0)
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写真では見づらいのですが、直径5mぐらいに地面が削られています。可動式の高射砲のようなものが据えられていたと思います。そこに道から巾1m、深さ1mの道がついています。その道から他の施設へと続く同じような連絡通路もあります。

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ススキをかき分けて海のほうへ2mも進むと、絶壁になっています。

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防空壕? 弾薬庫? 何に使われたのでしょう、すぐ近くに壕があります。入り口は崩れて塞がっています。
by amami-kakeroma | 2005-12-27 22:17 | 戦争 | Comments(0)
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奥行き20mくらいのところに5m四方ぐらいの面積のコンクリートの基礎が残っています。

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奥には石積みがあって、土地はそこから一段高くなっています。

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反対に、一段下ると水を溜めるコンクリートのマスがあります。

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そのまま、尾根道と平行している沢伝いの道になります。道の尾根側には巾50cmぐらいの水路がきってあります。

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沢が深くなり、道が反対側にかわるところは、側面にしっかりと石が積まれています。当時は橋が架けてあったのでしょう。

この沢は徳浜道に沿って諸鈍に続いていると思いますが、ここから急斜面をよじ登り、スタート地点に戻りました。沢伝いのところに来て、やっとアリモリソウに会えました。

最後の斜面がシンドかったワ。痩せなきゃ。
by amami-kakeroma | 2005-12-27 21:58 | 戦争 | Comments(0)
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ツクシンボ探しを終え、ブラウンシュガーで一緒にお昼。

「イノシシ猟の時に、徳浜の戦跡の方へ行くことないの?」
「あるよ。」
「何か残ってる?」
「石積みとか砲台の跡とかあるよ。」
「ええーっ! ある人は何にも残ってないって言ってたよ。」
「あるよ。」
「連れてってよ~。」
「時間が無いよ。もう年末だろ。来年から仕事だし。」
「行きたいよー。行きたいよー。」
「・・・。じゃ、今日行くか?」
「キャッホー!!」

ということで、食後のコーヒーを飲んで出発とあいなった。
午後は、猟犬見習いのモモとも一緒。

徳浜道の途中から左の尾根に登って行く。はじめこそ人一人通るだけの細い道だけど、すぐに車一台が通ることのできる軍隊の作った道に出る。

途中、枝が不自然に折れた木があった。
「イノシシが寝床を作るために口で折った跡だよ。」
「ひょえ~。丁寧!」

そんなこんなで尾根道を歩いていると、「キャンキャン」と先を行ったモモの悲鳴が聞こえた。急いで行ってみると、アハハ、イノシシの罠にかかってる。私達が近くにいてよかったね、モモ。
by amami-kakeroma | 2005-12-27 21:35 | 戦争 | Comments(0)
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イノシシ猟をするMさんが、この前マツタケを採りに行ったら、いっぱいツクシンボが生えていたという。奄美にツクシは無いよね、と思ったが、意外とあるかもしれないので、是非見せてくれい! と、頼んでおいた。

10時に待ち合わせをして行ってみた。四駆の軽トラでしか行けないところだけど、車を降りると足元にあるという超便利なところ。ハハハ、やっぱりヤッコソウだった。

土から頭をのぞかせているところはツクシンボと言われてもしかたないか。

でね、Mさんはヤッコソウを嗅いで見るとマツタケと同じような香りがするから、これは食べられるかもしれないって言うですよ。奥さんは、ツクシのように食べられるんじゃない? でも止めとけばって言うですよ。

どなたか食べたことあります? 私は食べたくありません。
そうそう、私、カケロマドットコムは、12月30日から4日まで、帰省並びに集落の「年の祝い」のためお休みします。よろしくお願いいたします。
by amami-kakeroma | 2005-12-27 18:24 | 観光 | Comments(0)
ブラウンシュガーさんのお休みは、12月31日と1月1日の2日だけですよ。

お正月休み、おいしいコーヒーを飲みに寄ってみてはいかが?
by amami-kakeroma | 2005-12-27 18:16 | 観光 | Comments(0)
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きらら「それ、あたしの・・・。」
小次郎「僕のだよ。」
きらら「・・・・・・。」