カテゴリ:戦争( 36 )

このあたりから江仁屋離島の標石。
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お約束。さよ~なら~(^ _ ^)/~~
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海の色が独特。
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後半は標石めぐりみたいになってしまいましたねー。

8時半に生間港を出発、古仁屋港経由で皆津崎→安脚場と東回り、与路島沖から与路島の砲台跡を眺めて、須子茂離沖でランチタイム。江仁屋離島を回って大島海峡に入って古仁屋→生間港着が3時半くらいだったでしょうか。

イルカの姿は見たもののクジラさんには会えなかった戦跡海上調査でした♪ お疲れさまでした。

<追記>
「標石」について調べていたら、上西 勝也 さんという方のサイト「史跡と標石で辿る 日 本 の 測 量 史」にたどり着きました。「標石」という名前も知らなかった。11.海洋測量(水路測量) の項とか、じっくり読ませていただかなくては。

by amami-kakeroma | 2015-02-20 23:55 | 戦争 | Comments(0)
今日は、瀬戸内町立図書館・郷土館の戦跡調査の皆さまと加計呂麻島民泊協議会のメンバーとで、加計呂麻島と江仁屋離島を一周! ヽ(*´∀`)ノ

山中を散々歩き回って探した戦跡を海からチェーック!

公園化されたところは柵などがチラッと見えるところもありましたが、他の戦跡は緑に埋もれて見えません。もちろん当時も見つからないように構築したんでしょうけどね。
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右側が安脚場戦跡公園の南側の展望台あたり。陸軍が大正時代に構築した砲台が残っています。
中程が開戦後に海軍が構築した砲台があったところ。
左の高い山が高鉢山で、防空壕2本と無数の塹壕・蛸壺を確認してきました(2月19日)。
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諸鈍グスクあたり。滝の上から左にかけて平地があります。ナングモリバラが籠ったところ。
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徳浜手前の標石。左奥にライオン岩が見えます。こちらから見るとブルドッグ岩♪
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諸鈍湾入口の先鼻戦跡へ上がる道はこの浜の奥から始まります。ただ、そこまでが藪になっているということと、オバチャン、下から上まで上がるのには体力が持たないと思い、右上のソテツ公園から尾根道を行くコースにしました。
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つまり左側の山頂にあるソテツ公園から尾根道を通り二つ先の頂上にある戦跡へ向かったのですが、遠かった・・・。それも、下見と準備もあり、二日連続・・・。遠かったー。
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新緑と縁取るハゼの紅葉は、本日回った瀬戸内で一番キレイ。ソテツ公園。
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続きは、次の記事で。

<追記>
思い出した。ご案内くださった安脚場の福山さんは疲れていらしたけど、機銃があったところを見せようと、みんなを誘って歩き出しました。ヒエー、タフ! ということで、藪をかき分け上り調査しました。皆さんはハブの危険とかあるので、コースから外れないで下さいね。

by amami-kakeroma | 2015-02-20 22:24 | 戦争 | Comments(0)
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安脚場戦跡公園の先に、海軍の砲台跡・探照灯跡があります。今回は瀬戸内町立図書館・郷土館さんと加計呂麻島民泊協議会と合同で、諸鈍・安脚場間の峠から高鉢山の防空壕への道を更に進んで海軍の砲台跡から戦跡公園へ抜けるというコースで戦跡調査をしました。案内は安脚場集落の福山さんとスローガイド奄美の富岡さんのお二人です。
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出発!
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数え切れないほどの蛸壺。ここ一帯は四角に切ってあります。
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安脚場集落♪
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機銃を据えた跡でしょうか。
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ヤッコソウ。終わりかけ。
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住民用防空壕。
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近くにある塹壕。
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ドラム缶を埋め込んである小さな塹壕。面白いことに、水抜きの穴と排水路がありました。
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三角点。草に覆われていました。
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その下の方に兵隊さん用の防空壕がありました。ここは前回見つけられなかったところ。やったー♪
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簡単にお昼を済ませて、探照灯へ。
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実は探照灯までは道が無いため、道を開きながらの行程となり大変でしたー。やっと古い道に出ると、海岸方向に上がる道があり、メンバーが登っていくと探照灯跡を発見!
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以上、作ったけど使わなかったと思われる探照灯跡。
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実際使った探照灯を探します!
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以上、探照灯跡。割れたレンズなどが落ちています。
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この上に砲台跡があります。戦後、重機で破壊されていますので、4箇所の位置をGPSで落とすにとどめました。
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到着でーす。疲れたー。

郷土館の鼎さん、正さん、民泊の皆さん、本当にお疲れさまでしたー!!!
by amami-kakeroma | 2015-02-19 23:15 | 戦争 | Comments(0)
今日は瀬戸内町図書館・郷土館さんと加計呂麻島民泊協議会で加計呂麻島三浦集落の山手にある旧海軍艦船給水用ダムの調査と整備を行いました。

9時過ぎから曇りという天気予報を信じて決行しましたが、開始後1時間以上小雨が降る悪天候の中、作業をしていただくことになりました。
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以上、午前のウントコラセドッコイセ作業終了。
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頑固な根には除草剤を打ち込んでいただきました。参加して下さった皆さま、ご覧下さった皆さま、お疲れさまでした。以上、戦跡・里山班長 何でもありでした。
by amami-kakeroma | 2015-01-08 23:20 | 戦争 | Comments(0)
今日は瀬戸内町郷土館と加計呂麻島民泊協議会共催の「モン崎戦跡調査」に行ってきました。
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瀬相港からメチャクチャ降っていた雨も止み、いざ、出発!
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藪になっている所は、事前に地元の方に伐採をお願いしてちゃんと通れるようになっていますが、振り返って見るとナカナカでんな。
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花びらが半分しか見えなかったのでマメ科の花かと思って確認のためによく見たら、しっかりアオイ科の特長が見て取れました。オオバボンテンカ♪ 
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土を盛って畑にされている部分から一段下に壕の入口があります。
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先発隊が入って行きました。
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横穴の扉部分のサイズを測っています。

この後、測定補助をしていたので写真無し。

横穴は土で塞がっていましたが、最初の壕の出口(砲台)から東側に回り込んだところに、もう一つの出口がありました。
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こちらの出口は武装解除の時に砲身と弾薬を爆破したのか、大きく崩れていました。

調査終了後は集落へ戻り、遅い食事をしながら意見交換。差し入れのお味噌汁が最高に美味しかった♪です。

その後、民泊のメンバーだけでも簡単な計測ができるようにGPSやレーザー測定器の操作方法を学んで終了となりました。

ご案内いただいた元永区長さん、ご指導いただいた郷土館の鼎さん、正さん、ありがとうございました! 民泊の皆さんもお疲れさまでしたー。

来月は、先鼻の予定♪
by amami-kakeroma | 2014-11-25 22:18 | 戦争 | Comments(0)
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講座 「瀬戸内町の戦争遺跡について」 開催のお知らせ

『瀬戸内町の戦争遺跡について』

日時:平成25年10月27(日)10:00~11:30 
場所:瀬戸内町立図書館・郷土館
講師:鹿児島県文化庁文化財課 前迫亮一氏
入場料:無料
主催: 瀬戸内町文化遺産活用実行委員会
共催:瀬戸内町図書館・郷土館

近年、戦争遺跡は「近代化遺産」のひとつとして、注目を集めています。

瀬戸内町に残された戦争遺跡も、本土や沖縄県の研究者が注目している遺跡です。

瀬戸内町内で作られた戦争遺跡は、明治~昭和期にかけて構築されました。

『日本』という国が近代化し、戦争という激動の中で、奄美大島にどのような軍備がなぜ配備されたのか。

瀬戸内町の戦争遺跡は、鹿児島県内の戦争遺跡や沖縄県の戦争遺跡との比較をする上でもとても重要な遺跡のようです。

今回の講座では、鹿児島県の文化財課の先生をお招きして、鹿児島県内の近代化遺産や瀬戸内町に残る戦争遺跡について、その歴史的意味や価値について、再確認していきます。

皆さんに、瀬戸内町の戦争遺跡について、知っていただける機会となれば幸いです。
by amami-kakeroma | 2013-10-20 22:59 | 戦争 | Comments(0)
  特攻隊の歌

1、遥かに聞こえる銃声は
  敵か味方か 夜は暗く
  疲れているが頼むぞと
  歩哨に出したわが部下の
  安否はどおかと目が冴える

2、あれ見よ 島尾隊長は
  人情深くて 豪傑で
  僕らのやさしいお父さま
  貴方の為なら喜んで
  みんなの命を捧げます

3、こしゃくなやんきいなんのその
  進め身草行く所
  こんな良い部下持つ我は
  日本一のかほお者
  心に感謝があふれ出る

4、明日はいよいよ出撃だ
  隊長殿よ我が部下よ
  明日こそ名誉の決死隊
  特攻隊の勇ましさ
  歴史と共に輝くよ
by amami-kakeroma | 2012-03-11 16:26 | 戦争 | Comments(0)
「鹿児島県奄美諸島の沖縄戦」ブログさんから、メモメモ。

 赤尾木無線送受信所攻撃(1945・4・5)
by amami-kakeroma | 2011-01-13 19:53 | 戦争 | Comments(0)
2009年7月にご案内した菊池さんのブログです。多くの資料によって書かれている超一級のブログを再度ご紹介しておきます。

 「鹿児島県奄美諸島の沖縄戦」ブログ
by amami-kakeroma | 2010-12-12 02:42 | 戦争 | Comments(0)
<戦争中、徳之島に行った話>
昭和19年のはじめ、徳之島の浅間の飛行場づくりも行った。行ってみたら、母間と花徳の間の道路づくりだった。同窓会のときに、この道だと案内してもらった。

<戦争中、喜界島にも行った話>
喜界島の震洋の格納壕も掘りに行った。山下隊で、少尉は阿鉄の重田くにお、中尉はとみしか。140人から150人が3つの班に分かれた。まだ、まる4艇も来ていなかった。

「せいらん棒」という2間長さの鉄の棒で(何人かの人力で)穴を開けて、ダイナマイトを入れて、昼夜二交代12時間交代で作業をした。

海軍だったので食べ物は良かった。足りなかったが。

祭日は小さな箱に入った羊羹が1切れ(箱)ついた。何かあるときは恩賜のタバコを2本もらった。

諸鈍の青年団も行っていた。大田の人も行っていた。

大中の学生、3年の時。

<転校の話から、お父様の話へ>

諸鈍校を卒業したか伺うと、小学生の時に西阿室へ転校したとのこと。お父様は「林 有沢(ゆうたく)」氏。
諸鈍校では教頭先生、阿木名校には6ヶ月、西阿室、秋徳、押角校で校長先生。そこから鎮西村長。瀬戸内町となったときに、古仁屋(ひらせ氏)、実久(きいれ氏)、西方、鎮西村の首長の中で年長だったから(正己おじの表現)、短い間、町長代理を勤め、川井町長のときに助役を勤めた。

助役のときに、山下清(画伯)が来町した。

<追記>
・第40震洋隊  安藤中尉 鹿児島県奄美大島(喜界島早町)
・第111震洋隊 後藤少尉 大島(喜界島小野津)

・『他にも1945年2月4日には内容不明の奉仕隊を運んでいる。(註7)3月12日には喜界島から名瀬へ奉仕隊を運び、3月14日には瀬相から名瀬に奉仕隊を運んでいる。(註8)前者は同年1月27日から3月12日まで喜界島で震洋の格納壕掘りに動員された大島中学校3年生であろう』」(「鹿児島県奄美諸島の沖縄戦」ブログ 奄美近海での船舶被害(27)-長水丸と大発による輸送-
by amami-kakeroma | 2010-12-09 23:55 | 戦争 | Comments(2)