2005年 12月 22日 ( 2 )

 土曜日とか終業式等、昼から授業がないとき、私は弁当を持っていかなかったが、1時とか2時に帰るとき、トロッコの陳さんは必ず弁当を持っていた。

 陳さんは私に自分の弁当を勧める。真っ白いご飯に真ん中に肉がある。私は断った。「どうして食べてくれないのか。」と、陳さんは寂しそうだった。日本人の子供は一食くらい食べなくてもよい。かなり強がりだったと思う。

 しかし、いつの間にか食べるようになった。陳さんが飼っていたウサギの肉や、冬場はネズミの肉だった。甘辛く煮ておいしかった。

 冬場、陳さんはネズミの猟に出かける。会社のサトウキビ畑は、野ネズミが多数いた。被害を少なくするため、日本政府の対策で、ネズミの尻尾は父の事務所で買い取った。

 陳さんは足の長い細長い黒犬を4、5頭飼っていた。土曜日の晩、大きな天秤棒の前に夜具やトラばさみをいくつか乗せて、後ろに大きなネズミかごを乗せて、黒犬を従えて猟に出た。

 黒犬はネズミ捕り用に台湾で改良された物だそうだ。何代もかかったのだろう。前足で土砂を巧みにかいて穴を掘り、ネズミを捕った。ネズミの尾は日本政府が買い取り、肉はご馳走、皮はなめして夜具に、全く捨てるところがない貴重な動物だ。

 ツィケ(カエル)、トッペア(こおろぎ)、私が覚えた台湾語は、ほんの2、3語だった。
夕べは、寝ていても目が覚めるような、アラレが窓ガラスに吹き付ける音がずうっとしてました。

同居人の今日の現場は、大和村。朝6時半に生間の桟橋から出発する筈だったのですが、あまりにも風が強く、夜が明ける前には暗くて波の状況が分からないからと、海上タクシーのチャーターは出来ませんでした。

結局、7時過ぎに家を出て、古仁屋から来た海上タクシーに乗って渡ったそうです。

「フェリーかけろま」も、4便まで欠航。新聞もそれから海峡を渡ってくるので、夕刊状態でした。

昨年夏に加計呂麻をご案内した広島の方にお電話したところ、あちらは零度、1度を行ったりきたりとのこと。聞いただけでプルプルしてしまいました。

今日の午前中まで、他の人の年賀状のお世話をしていまして、やっと自分のに取り掛かったところです。古いパソコンのデータが取り出せないので写真が足りない! むむっ、何とかしなくちゃ!