マサナリおじの話 「諸鈍に千人住んでいた話」

諸鈍の人口は、多いときは千人余ったんだよ。信じられないだろう。

おじさんは、昭和25年まで諸鈍の青年会長や経済委員をやっていたんだよ。経済委員ていうのは、アメリカの統治時代にいろいろなものを配る手配をしたんだ。

それで覚えているんだけど、納税戸数370、非納税戸数30で合計400戸。国民学校も小中合わせて400人。400、400で覚えているんだ。

何しろ人口が多くて、青年団も30歳上限を25歳に下げたんだよ。それでも男女合わせて85名いたんだから。

26年に仕事をしに沖縄に渡ったんだ。
by amami-kakeroma | 2007-07-10 22:05 | 集落散策 | Comments(2)
Commented by 義志直 at 2007-07-11 16:09 x
諸鈍は、今は当時の1/4か1/5ということですね。
各シマジマがそのくらいの倍数だったから鎮西村として独立して
いたんでしょうね。今では不思議に思いますが、(諸鈍はまだ恵まれて
いる方ですが)島のシマジマでは農耕地が広いわけでもないのに
どうやってそんなに多くの人口を支えていたんだろう?海とハテだけ
で十分だったのかなあ?
(今では想像できないけど、一日一食の家とか、子供たちがサツマイモ
を盗んでいたりとかありましたから相当に貧しかったんですよね。
そんな辛い時代を潜り抜けてきた今のお年寄りたちにこそ何の心配
もない幸せな余生を送って欲しいものです)
Commented by 何でもあり at 2007-07-11 20:00 x
義志直さん、今は当時の1/5ですね。
やはり長男を除いては、仕事を求めて沖縄・大阪へ行ったんだと思います。高校へ進学するのも経済的に難しかったと聞きます。
義志直さんのおっしゃるように、お年寄りには好きなように日々を過ごして欲しいと願います。