戦友が眠る島
「昭和20年4月2日、わたしが乗った輸送船は三浦に通信機と特殊潜航艇『咬龍』を降ろしました。わたしは番をするため一人そこに残ったんです。そのまま瀬相に向かった輸送船は、米軍の空爆を受けて多数の死傷者を出しました。」
瀬相の旧海軍司令部跡にある慰霊碑に書かれている、あの日です。瀬相湾が赤い血に染まった日です。『震洋』をご存知の方は多いでしょう。でも、『咬龍』をご存知の方がいらっしゃるとは! その上、配備されたときをご存知とは!
今日はその衝撃から1日が始まりました。三浦でむかえた米軍の武装解除の話など初めて聞く話もたくさんありました。
戦後もご家族を連れて、ご夫婦で、お一人でと何度も来島なさっていらっしゃいます。御歳86歳。車を自分で運転しなくなってからガイドを頼むようになったそうです。
大島本島でも加計呂麻島でも、地名がスラスラ出てきます。せっかくご縁があってご案内するのですから、ご存じなさそうなところを回って、4時半、瀬相でお見送りしました。
是非、また秋の「諸鈍シバヤ」にいらして下さいね。ありがとうございました。